人が一対一で対戦するときの武器として 最初は棒切れのようなものを振りまわしましたがほとんど効果がない。
次にヌンチャクのような複合した動きの物が出てきましたが
熟練した者でないと使いこなせないし当人にも危険が及ぶ。
次に剣(つるぎ)が出来たときは結構な優れものとされましたが 両刃のものは相手を倒すが自分も傷ついてしまう。
それでは何が一番最良の武器なのでしょう。それは「日本刀」だそうです。
柄の長さや手の握り具合などにも優れていて 微妙な曲線を描いた片刃は竹さえ切ってしまう刀が
現在のところでは一番の武器だそうです。驚きですね。
武士が携帯していたものは「刀」で 直接的には闘うための道具だけれど
無意味に振り回していたわけではなく 武士道精神に則った使い方であったことが救いといえます。
現代、最大の地球環境破壊は戦争だそうです。
放射能汚染に関しては 人や地域に後遺症も残ります。
戦争以前に、戦争を想定した日常的な軍事訓練だけでも 気の遠くなる燃費消費と莫大なCO2の排出は
一般生活に即した私達がどんなに環境的配慮の工夫をしたとしても到底追いつくものではないようです。
因みに戦車一両は約10億円らしいです。子供を教育をしていく立場の大人達が人生の時間や命や貨幣、
諸エネルギーを不毛な破壊のために費やしています。
どのような物でも武器を持たなければならない時代があったかもしれないが 今 何を持ってして武器開発
であり戦争なのか環境破壊であるのか 世界で巻き込まれている子供達に先ず申し訳が立たない。
「私はちゃらんぽらんでマイペース」と神奈川県を代表する剣士、全日本選手権優勝2回の
M兄弟の弟さんは 剣道に対する向き合い方をこのように月刊誌にさらりと語っている。
一日休むと コンディションを取り戻すのに3日かかるといわれる世界であるのに。
理由は壁にぶつかった時 壁を乗り越えられず潰れていく人を何人も見てこられて、
「こんなに練習しているのに結果が出せないと思い詰めたら 剣道がつまらなくなり続かない。
信念も大事だけれど 最終的な目標は最後まで楽しく剣道を続けていくことだと思う。
体を休めなければ次に繋がらない、超人はいませんから。」という。
豊かな考え方の工夫に脱帽します。
ほんの2年ほど前から夫婦で始めた剣道ですが この言葉に助けられて続けていけそうです。
「武士道で経済を救う」
武士道精神の理念を社員研修に導入して活用している会社もあると聞く。
日本は武士道が倫理的な価値判断の座標軸を果たしてきたからだと。
新渡戸稲造の書く「武士道」は愛に帰一するものという。
それは常に発展し続けていく。
長い間、6割から7割が輸入製材であった状況でしたが 徐々に国産材の使用割合が活発化
する動きが出てきました。地産地哨です。
全くの地場需要ではなくても 出来るだけ近場の国内産のものを使いましょうという動きです。
先般 植林したものが成長しきって熟成木(約60年以上から)になった時期的なものがあるのでしょう。
そのまま 放置しておくと立ち枯れし 様々に環境問題に悪影響を及ぼしていくようで
樹木は二酸化炭素を吸収してくれるのは成長過程までで それ以降は逆に大気に出ていってしまう
理由もあるようです。
この時期、この条件で適正利用しない手はないですね。
そして これからの建築に良い結果を生みたいものです。
津本 陽さん(作家)が書かれた3年程前の文章が印象に残っています。
大正2、3年頃の建物らしいのですが 生家の一階部分のみを見栄えのするように
改造した時の職人さんとの遣り取りが載っていました。
経験豊富な60歳前後の大工さん達が集合して工事に携わった訳ですが
その大工達も驚く当時の木造建築ならではの凝った技術や工夫がてんこ盛りのようでした。
< 仕事にとりかかると 溜息をついた。
「ほんまに勉強になりましたよ。しかし今のわたいらには 理解できん技術を仰山使うてますよ。」
壁をこわしかけた大工さんは
「これも今ではできまへんなあ。暖簾うってまっさかいなあ。」
暖簾とは柱と桁と土台の材木に縦に溝をほり そこにちいさな釘を二列に打ちつけ、
細い棕櫚縄(しゅろなわ)を竹に巻いて釘と釘の間をつなぎ 縦横に棕櫚と竹の網目を作っておいて
壁土を塗る。暖簾をうった壁は柱や桁と一体になり 極めて強度が高くなる。
柱の基礎は布基礎ではなく土台石に乗せた柔構造で 地震時に強さを発揮するという。>
、、、、、、、一部抜粋の内容です。
いつの時代も良い仕事が息づく建物を残したいものです。
私たちにとっては日本の財産になる仕事が大切だということなんですね。
皐月晴れのGW最終日。
あれやこれやの怒涛の4月が過ぎ 仕事も私用もやっと一息つけるかなあ状態になって 天気を見てじっとしていられなくなり これまたやっと一年ぶりのツーリングに行くことができました。
いつも車庫敷地内でのエンジン空ぶかし以上には至らなかった かわいそうなバイク達でありました。
木曾街道「重要伝統的建造物保存地区」になって残されている江戸時代からの中山道宿場町を3ヵ所周わりました。
奈良井宿・妻籠宿・馬籠宿です。行先はどうしても建物系になってしまいますね。
奈良井宿は一棟一棟の建物の造りが統一されていてとても綺麗でした。町全体が整えられている様子がうかがえました。
特徴は建物の間口が比較的狭く奥行きが深いことです。
殆んどのお宅で表札が屋号と氏名を表す2種類を掛けておりました。
中はお店または玄関・お勝手(台所)・中の間座敷・奥の間座敷というのが典型的な間取りの順序のようです。玄関は くぐり戸、2階ベランダ付近は必ず格子となっています。
下屋代わりに故意に「出し梁」を張り出させ 吊金具で仮止めし 泥棒がよじ登ってきたら仮止めがはずれるような造りにしてあるのには驚きました。
母屋の裏方には なまこ壁土蔵が併設されていることが多い。
路はところどころに 今も使用可能な飲用の水場も残されていて 心なごみました
妻籠宿では屋根にあたる部位に卯辰(うだつ)が見受けられたことです。
隣家に火災時の炎上被害が及ばないようにした構造はよく知られています。
実際に住まわれていることは 様々に対外的にも地道な努力がいると思いました。
馬籠宿は 坂道の地形が古い町並みの風情を一層引き立たせ 見ていて飽くことがありません。恵那山が望める新緑の視界が広がり 水路には水車も回っています。
石段から偶然に往時の身支度で働いている郵便配達人さんに会ったりもしました。
それは町を挙げて 皆さんが運命共同体で努力されている様子がうかがえ、見学後の御礼に感謝の心を置いてきたい気持ちでいっぱいになりました。



